Inspired by Nikkeinews 経済教室 リチャード・ネルソン コロンビア名誉大学
経済学派の新しい潮流、進化経済学。新古典派とは一線を画し、技術革新、イノベーション、ダイナミズムなど、経済の長期過程に着目し、経済成長の源泉解明をめざすものだという。
新古典派理論と進化経済理論の違いを同氏は以下のように解説する。
- イノベーションと長期的変化の過程に着目する
新古典派は経済活動の均衡状態を重視する見方をとるが、進化派は経済のダイナミズムを重視し、経済活動の通常の状態に焦点を合わせる。 - 認知限界を持った主体の合理的な活動に着目する
認知限界を持つ経済主体は、自分の認識よりもつねに複雑な状況で行動することを強いられる。その場合、主体の行動は相当程度まで過去に慣れ親しんだ手順(ルーティン)や成功体験に支配される。そのやり方がうまくいかなかったときや、有望な機会が見つかったときには革新的なことを試す能力を持ち合わせる。
そして、ある産業やある環境でいずれかの経済主体がイノベーションに成功すると、他の経済主体もそうしないと生き残れなくなる。(主体の合理性に着目する点は、新古典派と異なる) - 多種多様な考えや行動を想定し、自然淘汰する
限定合理性を持たない経済主体は、最善の行動を選ぶ上で多様な考えを持つ。本理論は、経済発展過程での考えや行動の多様性を重視する。多種多様な考えを淘汰するメカニズムを持つことで、個人レベルでの合理性の限界を超えることができる。
経済主体の行動するメカニズムは多数ある。経済主体そのものを淘汰するメカニズムも存在する。「市場での競争」「個人や集団の学習「「政治過程」などである。
本理論は人間の合理性を重視する姿勢から、「人間の目的意識や知識が行動を導く」という考え方に立つ。イノベーションの中心的な役割を果たしている「目的意識や知識」を重視し、人間の知的向上が経済活動の場で人間の行動をどのように導き、効果を高めてきたかのかを明らかにしていくものという。
この理論は、シュンペーターの言う競争社会、格差を生みだす点も見過ごしてはならないという。その点は、規制によってイノベーションを排除するよりも、イノベーションを創出・淘汰するための適切な規則の設計、公共政策によって犠牲を減らすという取り組みを重視する。「近代資本主義のダイナミズムが殺されないよう設計されなければならない」とダイナミズムのポジティブな可能性を最大化することが、なによりも重要との立場をとる。
イノベーションの実現と、ダイナミズムの弊害(=格差)。以前、イノベーション(高質な暗黙知(技術者のノウハウ)を表出化・標準化し、画期的な業務のアウトソーシングサービスを開発)を実現し、大勝ちした企業が、「私たちは日本の生産性向上に貢献しているとの自負がある、一方で技術者の雇用を奪うとの懸念があるが、それは国の政府の問題である」と口にしていたことを思い出す。
イノベーションには、副作用である「格差」が付きものであるとしたら、イノベーションの主体者が一部の層に限定されず、「誰もがイノベーションに貢献する」社会インフラづくりが求められるのではないか。マクロでいえば、勝ち組がダイナミックに入れ替わっていく、挑戦にあふれた社会づくり。ミクロでいえば、勝ち組のときも、負け組みのときもあって、人生とんとん、でも挑戦にあふれ、多くの仲間と努力した人生づくり。。。
今のところ、私がめざしているのは、そんな世界です。。
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