ソーシャル・キャピタルに関連して、以下の記事に目がとまりました■。
1995年に日本を訪れたフランスの社会学者、ジャン・ボードリヤールは「日本が豊かなのは日本人が貧しいからかもしれない」と言ったそうです。経済大国と言われる日本でも、そこに住んでいる人たちの生活というのは本当に豊かなのかどうかということはたいへん疑問です。
私は二つの豊かさモデルがあると考えています。一つは「全体が豊かになってこそ個人が豊かになる」という発想です。日本はこのモデルで豊かさを追求してきました。まずは個人の欲求を我慢して全体のパイを大きくしようと、みんながんばってきたのです。個人よりも会社、個人よりも地域社会、個人よりも国家が優先されました。言い換えれば、全体の豊かさを高める視点で制度や組織が設計されたのです。そして見事に急速に経済を発展させ、豊かな社会を実現しました。
しかし、そのモデルは限界に来ているようです全体から発想していては、もはや全体の豊かささえも高められない状況にきています。
そこで、もう一つのモデルが登場します。「個人一人ひとりが豊かになってこそ、全体が豊かになる」。ボードリヤールのフランスはこうした発想が根底にあるのかもしれません。
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