日経新聞で紹介されていた、哲学者木田元さんのコラム。ノーベル賞受賞者の対談で、「従来の概念と決別することが必要だ」「それには哲学的な考えが必要になるのだろうか?」というやり取りがあったのを受けて、「哲学的とはなんぞや」と問いかけています。
哲学的に考えるというのは、一時代の常識、例えばニュートン力学のような近代の定説をさえ疑ってみることだと解されているのだ。だが、どうして哲学にはそうしたことができるのか。常識とか定説は、10年や100年体で形成され通用してきたものであるが、哲学は千年、二千年といった途方もないスパンで物事を見たり考えたりするからではないだろうか。
その意味で、哲学は現実に対して幾何学でいう補助線の役割を果たしている。それ自体にはあまり現実性はないのだが、それが引かれることによって現実のこれまで見えいていた構造が薄れ、隠れていた構造が表立ってくるからだ。
かくれていた構造を表立たせる補助線を必死に追い求める・・、自分のライフワークもそんなところにあるような気がします。
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