トヨタ問題について、「ものづくり」再論記事が日経の経済教室で連日掲載されています(2010年3月15日~)。
吉川弘之東大元学長の語る、「生態系の調和的進化に必要な循環系をそなえよ」
「製造者が力を尽くして製品を製造・供給し、後は使用者が現物と付き合ってどうかするという伝統的形式が崩れ、技術進歩でよい製品を提供した結果、使用者は製造者のそばに接近している」。吉川先生は、11.電子制御により運転者の負担を減らすシステムが導入された結果、かつて人は筋肉神経とも自動車と一体感を持って運転された関係から解放されると同時に、修理は自分でするものではなく製造者に接近して行うものへと変化している、2.環境対策熱の高まりにより、購買者は自分の選択が環境問題と結びついていることを実感している。これは製造者の心理的接近をもたらす、という二つの理由から、使用者と製造者の接近に、わが国の製造業は気づいていないと語っています。
図のような「持続的進化のための情報循環」は、市場調査などで得られる製品に関する情報循環にとどまらない。工業製品の普及に伴う動的な情報であり、これを発見するのに「観察者」と呼ぶべき存在が必要である。地域ごとに多様な使用者がいて、身体的特徴、個人的嗜好、使用目的・状況が多様で刻々変化し続ける。さらに新しい製品の社会的同化の結果として、文化、生活、職業、安全意識、国家意識、環境対応意識など後半にわたる側面の変化が起こる。これらは使用者に接近して感知するしかない。「使用者に対して排他的ではない技術進歩」が製造業に求められている。
畑村洋太郎工学院大教授の語る、「強すぎる品質の呪縛説け」
日本製品は世界最高峰の品質を誇るが、新興国では二槽式洗濯機が売れたり、20万円の車が売れている。日本は「過剰機能」の「過剰品質」のものを「過剰な量」つくるという三つの過剰にとどまり、しかも「まじめにやっているから」「愚直にやっているから」いいんだと視座を自分の側に固定していないか。
また、メカトロニクスの発達、標準化の進展により、システム化やマニュアル化が進んだ結果、人間の分担する領域を狭める。これは人間の応用力の範囲を広げる点で、あるところまでは機能するが、深く考えずにすむため、賢くならないという問題を内包する。どこまでブラックボックスするのか、今後も議論が必要な領域だろう。
木村英紀科学技術振興機構上席フェローの語る、「問題は複雑さ、システム思考の革新急げ」
ABSと回生ブレーキ複雑な制御の手順に頼る二つの機能がブレーキという自動車の根幹にかかわる装置で出会ったときに、お互いの複雑さが相乗効果を引き起こした、ここに問題がある。相互干渉の結果を十分に予測できなかったのだ。
1930年代から複雑さとの戦いは始まった。マルクスは、産業革命時代の紡績機を分析し、原動機、伝達機、作業機の三つの部分からなる機械のシステムであると見抜き、システム化は機械の本質的な属性であると説いた。それでも、生産手段の複雑化はロボットの導入など、機械のシステム化で吸収できた。問題は、90年代以降進んだ「消費製品の複雑さ」の向上だ。電子制御は、製造装置から生活商品(家具、カメラ、福祉機器、乗り物など)へと応用範囲を拡大している。ユーザに親切になろうとすればなるほど、複雑さを増している。
「要素の間のつながりを重視し、その構造から全体の機能を最適に認識しようとする考え方」、このシステム思考を製造装置レベルではなく、消費製品の開発製造、使用シーンにまで科学の裏づけを持って臨む姿勢が求められている。目に見えないシステムを「体感」する力、技術の科学への深い素養、ひとつの専門に案准しない複数の領域を横断する強い意欲、個別から普遍を取り出せることができる研ぎ澄まされた抽象力・・、日本人にかけているこの力を磨いていくことが、製造業復興の道である。
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