Inspired by Nikkeinews 20100421 経済教室
失われた20年ともいわれる長期停滞で、家計や個々人が抱える不安とリスクは増大したように思われる。本論文は、リスクが顕在化したときに「個人が全責任を負うことは必ずしも合理的でない」という立場から、いかに社会で公平負担を行うべきか・・という考察を比較文化的な論点から提言している。「個人が責任を負う」ことは、80年~90年の自己責任論が強調される社会風潮のなかで、いつのまにやら個々人の意識に刷り込まれている。共同体を重んじる日本人にはこれがどうもそぐわなかったのではないか・・という反省は、あちらこちらで見られるわけで、日本で問題になっている社会保障のあり方も、このマインドセットをはずすところからはじめよ・・という提言は興味深い。
以下、提言内容を見ていこう。
デンマークの社会学者、エスピン・アンデルセン氏は先進国の政策体系を三つの分類している。
日本の場合はどうか。生活保護など所得再配分機能が弱い点では、米国型の自由主義レジームの特徴が見える。また、育児・介護を家族内の支えあいに依存し、雇用保障については企業に依存するなど家族や企業の共同体による共同の扶助を重視している点ではフランス型の特徴がある。
- 自由主義レジーム
米国のような市場メカニズムによる分配を重視する政策レジーム(制度・体制)- 社会民主主義レジーム
所得再分配を重視する政策レジームの一つ。スウェーデンのような税制を通じたう所得再分配を重視- 保守主義レジーム
所得再分配を重視する政策レジームのもう一つ。フランスのような企業、家族などによる共同扶助を重視
このように米国、フランスの二つの特徴を持つ日本の政策はリスクに機能するのだろうか。米国型との比較では、リスクを軽減する多様な金融商品の提供が不十分。自宅を担保に老後資金の融資を受ける、リバースモーケージや債務返済が困難な人に再起を促す慣用な破産法が整備されていない(自由主義レジームでは、政府による弱い所得再配分機能を補完する重要インフラとなる)。
またフランス型との比較では、津用解雇規制による正社員中心の雇用保証は存在するが、雇用保障と引き換えに長時間労働を強いられる危険性があり、その上、失業給付などを通じた所得再配分策が弱い。
問題提起:「日本はリスクが顕在化した人に対するセーフティーネットが脆弱である」
日本の政策レジームの未完結性が、家族や企業の共同体から外れている一部の「個人」新卒者、非正規社員、単身者、母子世帯などをリスクにさらしている・・。ウチとソトでつながりを区別する日本人のこと、この問題を共同体のウチ側にいる人が解決しようという意欲も沸きにくいのかもしれない。
著者のチャールズ・ホリオカ氏は、この「共同体」によるリスクシェアは非効率的で不公平であることから、そこに重きを置いた保守主義レジームから脱却せよと説く。
企業間の国際競争が激化する中、強い雇用規制を課して国内企業に過度な雇用コストを担わせると、企業の生産性や競争力が低下し、皮肉なことに雇用がかえって減ってしまう恐れもある。また、強い雇用規制は、正社員の雇用を保証する一方で、失業者の失業期間を長期化させ、若年世代の失業率を高め、就業率を引き下げる。
そこで、雇用契約を多様化することを提案する。「比較的低賃金だが、解雇リスクも低い組み合わせ契約」と「成果報酬による高い賃金の代わりに解雇リスクも比較的高い契約」を選択できるようにするべきである。
そのほか、増大する雇用リスクの低減、社会リスクを一部の弱者にしわ寄せすることの回避をめざし、
- 規制緩和による競争力強化や経済成長により雇用機会を拡大する(市場)
- 金融商品のメニュー拡大で、金融市場によるリスクシェアの手段を拡充(市場)
- 破産法制の整備で企業や個人がリスクに対応しやすくなるようにする(市場)
- 男性女性、正規非正規、青年壮年老年、未婚既婚離婚死別、子供のいるいない、などの人がいずれも公平にリスクを分かち合うための法制整備、保育所などのサービス整備(社会民主)
- 公的支出を世代間で公平に配分するための重点的給付(社会民主)
へと転換し、社会民主×市場型へとシフトすることが、個人が過重なリスク負担をする社会から、公平不負担する社会へとシフトするための処方箋と提言している。
共同体の強みを手放すべきかどうかは、再考したいと考えるが、比較文化の観点からいいとこどりをしようという発想は、日本が古来より強みとしていた編集力によって達成できるのではないだろうか。そのために、まず自分たちがリスクを過重にせおっており、それが自らの選択によって生まれていることに気付くことから、スタートしたい。
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