松岡正剛著『空海の夢』より。父性と母性の統合と、言葉としての教義と、言葉になしえない本質を行き来する全体感。日本人の精神構造を表す、体系化として興味深い。
母なる空海・父なる宗教
宗教は「父なるもの」と「母なるもの」の交代と抗争と共存の歴史である。父性的なヒエラルキーと母性的なネットワークの織りあわせであり、アニマとアニムスの相剋であり、左脳性と右脳性の交錯と統合の歴史でもある。どんな歴史のどんな組織にもそういう傾向はあるが、とりわけ宗教には父性的な統率力と母性的な包容力が必要だったのであろう。
空海は「父なる大師」と「母なる空海」を発揮した比類ない密教文化の体現者であった。彼の総合的な成果に「母国」「母国語」についての探究や「母型」「母体」「分母」についての思索を強く感じるあらだ(つまり、女性としたの母とは限らず、母国や母なる大地というときの、その祖国に属するものの分母感覚のようなものである)。彼には「母なる日本」を先駆的に構築したいという意図があったのではないかと考えるようになった。
もっと端的に言うなら、体系化がすこぶる苦手な日本の宗教文化や思想文化のなかで、空海ははじめてマザープログラムの確立を試みた嚆矢(こうし)であったとも言いたい。
なぜ、本書を書いたのか、それは仏教と密教の流れをアジアの流れに組み込み、そこに生命の流れと意識の流れを刳(く)り貫いて、それらの流れの重なりを空海自身の夢として描きたかったからだ。つまり、これらを通して意識と言語の流体哲学のようなものを書きたかった。同時に、阪神大震災やオウム真理教の事件を体験し、今日における、現在の社会文化的な視点でいう、空海や密教、仏教とは何かを考えさせられていた。この痛ましい事件について、社会的矛盾を反映した病理の露呈というつまらない議論もはびこったが、社会病理のなかった時代や社会などあったためしがない。しかし、その後の9.11に見る聖戦についても十分に議論されないのはなぜだろうか。
そもそも仏教が「意識の制御」を必要としたか、考える必要がある。仏教はこの「意識の制御」を発端させた初期の思索や活動の様式に期限を持つ。意識の制御とは、放っておけば心が痛むほどつらくなるような「意識の傾向」が芽生えたということである。これは、紀元前十世紀よりも前の人間に芽生えた過剰意識だが、今日の新宗教問題にもイスラム教にも当てはまる。仏教はなぜそのような自らの内側に辛い意識(仏陀のいう「一切皆苦」)に気づいたのか、そこには仏教の原郷であるインドの気候風土が関与する。
太陽が照りつける乾燥した砂漠では、歩き続けることこそが生きることである。下手に休めば、飢餓と病苦と死が待っている。砂漠の選択者にとって、右へ行くか、左へ行くかはその先にオアシスがあるか死が待っているかの必至の選択である。こういう過酷な風土では、右・左へ行くかおw決定するのは絶対的な一人のリーダーでなければならない。むろんあれこれの議論があったって構わないけど、最後の決定はただ一人の絶対的リーダーの決断であってほしい。それが間違ったr、それでもしょうがない。つまり神は一人であってほしいのだ。これが、砂漠の民の中で生まれた一神教の発端だ。議論の末の決定は唯一者でなくてはならず、唯一者の決定はたとえそれがまちがっていても従わなければならない。ここには強大な決定権を持つ「父」がいる。その系譜の末裔として、イスラム過激派もパレスチナをめぐるアラブゲリラとイスラエルの激闘もある。
一方、鬱蒼としたアジアの森林では歩きすぎることが迷うことであるから、右へ行くか左へ行くかという判断も単一的なものではない、森林では東に獣が、西にはキノコが、南に獰猛な部落が、北には行く手を阻む大滝があるかもしれない。森林にはありとあらゆる情報を周囲に含んでいる。こういうところでは、むしろいったん止まって熟慮するほうがよい。実際にも森林を襲う雨季は人々を一所に閉じ込め、よんどころない熟慮に向かわせた。結論は一つではないかもしれない。時期により、経験の異なるグループにより、目的によって結論や行動は変わってくる。そのため、議論もある程度多い方がいい。知識は分散された方がよく、一点集中はかえってリスクが高い。「乾季には歩き、湿季には座る」という活動様式、認識様式が生まれていった。この地域では、砂漠とは対照的に情報は四方に多様多彩に待つ。すなわち、アジアの森と河は多神多仏的なのである。議論と経験を分散させ、討議の仕組みこそが教理となるべきだった。問答様式こそが結論を生む様式になりえたのである。
こうして、ヒンドゥ=ブディズムは、多神多仏になっていった。アジアの宗教では、結論を示すリーダーは何人もいる。経験や知識に基づいて問題ごとに解決者が必要になる。猛獣やキノコに詳しいもの、小麦や米を撒いて収穫を得る経験と知識を持つもの、洪水を予知して治水に取り組むものなど・・。コミュニティではむしろこれをくみあわせることが重要だった。密教の曼陀羅はまさにこうした組み合わせの表象である。経験と知識が多様であるなら、原因と結果の関係も一通りではないと考えるべきだった。
単一のロゴスや単一のリーダーが尊崇されるのではなく、組み合わせのイコンや複数のリーダーシップの共存を許す期間やシステムが宗教の統括者となった。しかし、議論や問答を重視し、複数のリーダーを許容するということは、裏を返せば唯一絶対的な物の欠如を意味し、状況と事態の多様性に常に迷わされるということに他ならない。
この迷いは必ずしもネガティブなものではない。それどころか、この「迷い」をポジティブに転換することをこそ哲人たちは施策したのだ。「われわれは迷うものである」という目覚めの存在だ。かくしてここに、「輪廻」や「業」という想定、また「一切皆苦」や「縁起」の発想が発達していったのである。
意識を制御するとは、結局、意識を同様させる言語を制御することである。迷妄が迷妄をよぶような堂々めぐりの言葉の使いようをいったん中断し、せめて意識がまぎれないような言葉だけを唱えることがいい。子供が気に入った遊びに夢中になるとき、うたのようなつぶやきをつづけるようなものだ。
宗教には二つの方針がいつも対立したり併存したりしている。ひとつは、専門的に限定した言語体系をつくってしまうことでありもうひとつは(禅が特徴的だが)本質的なことは言葉ではいい表せない(不立文字)とすることだ。坐法瞑想型から文字によって経典が編まれるようになったことで、いったんは教理の厳格な体系化が進んだ。中央機構が安定する一方で、周辺部に繕いきれないズレが生じ、ここに密教的法がが滑り込んだ。そして空海は、この言語と不立文字を自在に横断する稀有な宗教者だった。
【空海】
宗教の(言葉ではいい表せないような)本質を、そこで使われている言語構造に即して解明しようとした。
私自身は、不立文字の本質世界を遊ぶことを好みながら、「経営」及び「日本」の言語構造に即して伝えんとしていると言えるのかもしれない。
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