Inspired by Nikkei 書評 20120701
「ネットが変える社会運動」書評欄(恵泉女学園大武田教授)より引用。
昨今日本でもデモが散見されるようになった。『デモとは何か』は、デモに関する歴史をたどっている。60年代安保反対運動の中心にいた丸山眞男が「(衆参議)院外」の直接民主主義行動とみなしたデモが分水嶺に至ったのが、80年代。 デモを支えるに二大勢力だった、労働組合は新自由主義政策のもとに弱体化し、大学生たちは消費社会化の流れに飲み込まれて、脱政治化をとげた。 こうした旧来型デモと入れ替わるように新しい社会運動が育まれる。左派イデオロギーから離れて、消費社会の中でも様々な矛盾への意義申し立てが行われる。 インターネット、ソーシャルメディアの広がりにより、人々が自ら発信する機会が増えた。参加者の輪が広がる一方で、匿名性と移動性の高さから、言いっぱなしややりっぱなしの無責任な言動もあり得る。 デモは建設的にして批判的な社会運動であり続けられるか。その問いは、20世紀初頭の二人の社会学者の間の論争を想起させる。 「特定の場所に集まって声や身振りで情報交換する群衆は暗示にかかりやすく、衝動的で非合理な存在」としたル・ボン『群衆心理』と、「メディアによって情報を共有する理性的な公衆の登場」を期待したGタルド『世論と群衆』。 人間は集団となったときに、力を合わせて自分たちの未来を良きものに変えるだけの知恵を備えているか、それが常に問われ続けている。
なるほど。本稿では、昨今のソーシャルメディアを活用した発信の動きについて、『動員の革命』(ソーシャルメディアを通じて、各自が違和感を発信し、それがリレーされて具体的な問題解決の行動に駆り立てる様子を紹介)、『ストリートの思想』(大学や論壇から、美術や音楽を通じて政治に関わろうとしたストリートを公共圏として活用した芸術家の存在を紹介)、『スペクタクルの社会』(新しいデモのスタイルとして、音楽をならして踊るサウンドデモのような、祝祭性が高く、見ていても参加しても楽しめるデモの様子を紹介)などが取り上げられている。
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