Inspired by Nikkeinews やさしい経済学 経営学のフロンティア
利益なき成長を続ける日本企業。実は上場協業の売上高営業利益率は長期低落傾向にあるそうです。「百年に一度」などと上下動の要因を形容されるが、過去を振り返れば、大変化はコンスタントに起きていて、戦略と騒ぎ立てたところで、企業は基本的に自らの命運を制御する力はない。三品先生によれば、そもそも起業とは、短期でみれば、激流に翻弄される存在ととらえたほうがいいそうです。
5年内外(短期)に限定すると、産業別の同調性が浮き出る。10年以上(長期)でみると、利益の安定性が見える。この二つの事実の前では、企業は実に無力な存在で、戦略の余地などないように思えるが、半世紀というスパンでみると、同業者間で利益水準に差がつくことも。不毛な成長を追いかける企業は、経営者が10年以上の視野を持っていないに違いない。
さて、「戦略」という言葉。なんともありがたみがあり、「自分が重要と感じることなら何もかも戦略と形容する習性がある」とは三品先生の指摘。耳が痛いお言葉です。
戦略は利益に投影して初めて戦略になる。利益への投影の仕方に応じて、戦略の次元を識別できる。もっとも次元の高い戦略は、『立地』の選定。事業立地は、誰に向かって、何を売るかで定義される。
次に次元の高い戦略は『構え』(バリューチェーン、製品ラインナップ、拠点ネットワーク)の設計。どこまでを垂直統合するか、どのチャネル経由で売るか、どこまで幅広く製品展開するか、どこに製造拠点を拝するか、どこで開発を進めるか・・・。立地を前提に順次答えていくと、構えが自然に決まる。構えが決まれば、次の戦術レベルは次々と決まる。製品群、技術使用、価格、デザイン、バリエーション厚生、パッケージ、広告宣伝、生産計画、工法など・・。
第三の次元は、『均整』。実行するための管理の次元。意志決定というよりは、瞬時の判断の積み重ね。生産、品質、労務、減価、資金など多岐にわたる管理が含まれる。
三品先生は、「戦略の上位次元ほど、携わる人数が少なく、仕事内容が左右される人の数は増える、変更に要する時間も長い、利益の水準を大きくシフトさせるのも次元の高い戦略である」、「一方、時限の低い戦略はそれ自体が利益向上の潜在力を引き上げる力はないが、失敗すれば企業存亡の危機を招くこともある、そして同業他社と横並びで構わない」と指摘します。
経営者が果たす、固有の役割は「診断」。企業や事業のおかれた状況を見極めること。管理、戦術、構え、立地のどのレベルにメスを入れるのか。時代の趨勢、自社の内情を読み取り、最後は独りで決める。
戦略の次元を選び間違えた例。ひとつには、有望な立地を悲観視して失敗したコマツの例。同社は主要事業の将来性を悲観視し、20年前に脱建機を掲げ多角化を進めた。一方、同時期にキャタピラーは建設機械を有望視する一方、グローバル化に対処しうる新たな構えを構築することが、喫緊の経営課題と判断していたのである。(過去の途上国の過剰債務問題による失敗からの過剰学習や円高が進行していたという材料を考慮してみるべきではあるが・・)
もうひとつは、悲観視が正しかったキャノンの例。機械式カメラの立地を早々に捨てて事務機に出たことで、ペンタックスとは異なる道が開けた(一方で、相次ぐコンプラ問題を見るに、管理という面で甘さがあったと言えるのかもしれない)。
モッタイナイ。日本人の精神構造が、事業構造の転換スピードにも影響を及ぼしている。製品にはライフサイクル(揺籃期>成長期>成熟期>衰退期)があると言われる。米国企業は、事業が成熟期に入ると、ついかとうしを絞り込み、利益の刈り取りに専念する。日本は、成熟してもR&Dの手を緩めない。技術の力で脱成熟をめざす。白黒>カラー>薄型平面化・・TVの転換は市場の成功事例を目されている。事業に付随して蓄積される経営資源を捨てるのは、モッタイナイという気持ちが働く。技術は文句なく素晴らしいが、利益まで薄くなってはしゃれにならない笑。テレビはデジタルを機に潮目が変わった。米国勢はそれを見越し、ipodのような立地換えを行ったが、日本勢は垂直統合しなかったために、装置・部材メーカーがライバル韓国・台湾勢を後押しする形になったり、強大な小売業者を太らせるばかりである。
三品先生は、「ライフサイクル」という事業に閉じた視野ではなく、より大きな世界観で世の中の変化を捉えよと指摘します。
製品の高級化を訴える声があるが、そこは欧州勢の牙城で日本に勝ち目はない。セイコーの量産化はスイスの機械式時計産業を壊滅させたと言われたが、実際には彼らは自動車並みの価格で、粗利では凌駕するような実績を世界中であげている。一方、量産時計に改善を加える日本勢は中国勢との競争に追い込まれている。これが、欧州のものづくりの強さ。量を追わない、ライフサイクル理論とは無縁の、無形の価値を追い求めるということができるのは、マリー・アントワネットのような顧客層が職人を育ててきたからだ。あのレクサスですら欧州に入り込めないのは、伝統の重みが表れるからだ。戦略の判断では、この手の世界観がモノを言う。中国インドの台頭、環境やエネルギー問題の深刻化と、旧来の秩序を覆す変化が起きている。戦後復興期に定めた『立地』に安住して、製品次元のカイゼンに終始するようでは先がない。
事業立地には寿命がある。超長期にわたる反映を実現する企業は、立地を替える転地の能力が優れているということ。替えにくい構えや立地を更新する試行を容易にする何かを身につけた企業だけが、変化の荒波を乗り越えて長寿を達成する。
好事例はIBMだ。ワトソン・シニアの時代には、打刻機やはかり、ハムやパンのスライス木、統計処理機を扱った。ワトソン・ジュニアの時代には、IBMを名門たらしめた電子計算機への転地を果たす。そして、ガースナーは小型機ネットワークの時代を迎えた変化の潮目を読み取り、コンサルティングへの転地を主導した。
トヨタの織機から自動車への挑戦。これは豊田佐吉氏がすでに自動車の将来性を革新していたからだが、当時三井・三菱ですら躊躇した事業に挑んだのは、彼の事業観や人間観があったからに違いない。織機の特許で得た資金で、粘り強く試作を重ねた・・・、これがトヨタの源流だ。
転地先を決めるには、出やすいか否かではなく、出るに値するか否かで判断することが成功の度合を左右する。
三品先生は、こう転地の重要性を語りながらも、「転地画策が戦略であるという発想には、無条件に拒絶反応を示す人が多い」と苦笑いを浮かべます。転地は、多くの社員の一から出直して新しい芸を身につけるよう強要するわけで、成功が約束されているわけでもないとなれば反対も同然。そうなると、いかに内部の抵抗を乗り越えたのかが好奇心の矛先となる。
トヨタは、創業者(佐吉)が転地を決断、子息が実行したこと、スピンアウト式を取ったことで、内部抵抗は最小にとどまった。セブンイレブン、アスクルなども同例だ。
次いで多いのが創業者自身による転地。ホンダ(二輪車から四輪車へ)、ユニチャーム(建材木毛セメント板から生理用品へ)、ブリヂストン(地下足袋からタイヤ)など。任天堂、ブラザー工業などは、創業者の直系子孫が転地を遂げた例。
サラリーマン経営者が転地を主導した例も。セーレン(川田達男)、旭化成(宮崎輝)、三菱倉庫(松村正直)など。起業家的な異端児経営者である。
例としてはわずかだが、積水化学工業が、日本窒素からスピンアウトして生まれ、さらに積水ハウスがスピンアウトし、積水化学工業自体も工業化住宅に転地。これを支えたのは、代変わりしていく若い社員たちであった。
三品先生は、「転地には結果論も多いが・・」と断りながら、転地を主導した人々が得た、鍛え抜かれた世界観、歴史観、事業観、人間観の先にある達観を解読することに、ご自身のミッションを掲げておられるようです。
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