先日の新聞に、フリーマガジンならぬ、フユー(富裕)マガジンが興隆しているという記事があった。富裕な消費者に特化した雑誌だが、「モノやサービスへの欲望と、精神性や知への欲求」の両面へアプローチした紙面に特徴があるという。実際、商品の紹介ページにも、ブランドの歴史物語やブランド企業の社長インタビューなど、消費者が関心のある商品について、一歩深く知識を増やすための記事が多いらしい。
「これは、ニューリッチ(新興富裕層)台頭の表れか?」と本記事は指摘する。日本は、所得格差が(海外と比較すると)小さいと言われているが、それなりに富裕層とマルビ層があって、経済的、社会的秩序が保たれていた。1980年代後半など、格差が拡大する時期もあったが、それでも秩序が保たれたままでの格差拡大であったという。「これに対し、2000年以降に勃興した富裕消費を担うのは、秩序を壊すカタチで登場したニューリッチ。IT起業家や成果主義で高額報酬をもらうスーパーサラリーマンが代表格となっている」という。
ここで興味深いのは、「消費に関するスキル」に関する記述。「父祖の代から『上質なカネの使い方』を目の当たりにしてスキルを磨いている旧来型富裕層と異なり、明らかな経験不足」。それを補うために、おおいに参考になるのが、富裕層雑誌なのだという。
富裕バランスと、経済・社会的秩序という面でいえば、負け犬族も新興富裕層といえるのかもしれない。けっして、ホリエモンのように「にわか大金を掴んだ!」という意味ではなく、旧来型の秩序のなかで、「女性で、自由に使えるお金を多く抱える」というカテゴリーは存在していなかったのではないかしら。
だから、負け犬族の「自分へのご褒美」「マンション購入」は奇異に映る。負け犬としては、ちょっとしたお金を前に、「上質な生活へ投資をしよう」という挑戦なのだけど・・・・。富裕に関する旧来からの経済・社会的秩序と、日本人の倹約を重んじるメンタリティを前に、共感される「上質なカネの使い方」を生み出し、スキルとすることは、知恵の求められる作業である。
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