Inspired by Nikkeinews 20070501 経済教室 『経済学を語る 異分野の視点』
株の相場の変動には神の摂理がはたらいていると思わないわけにはいかない・・・
アダムスミスは市場に働く神の摂理を「見えざる手」と表現した。これには、「一神教」と「多神教」の考え方が適用できるのではないかというのが、同氏の主張だ。本稿で取り上げている日本の代表的企業家は、渋沢栄一、出光佐三、松下幸之助の三人。
- 渋沢栄一 : 論語の精神に基づく事業経営。アングロサクソン流の合理主義と異なる、儒教合理主義を近代日本に受け付けようとした
- 出光佐三 : 「人間尊重」「家族主義」に基づく経営哲学。仙厓和尚に心酔し、仏教資本主義をめざした
- 松下幸之助 : 「弱者の身になって考えること」「かけることを知って立身せよ」。真々庵称する庭園や根源社なるカミの社を建立し、しばしば神前に座して瞑想にふけっていた
三人の背後には、近世の岩田梅岩(『心学』経済倫理)や二宮尊徳(『報徳仕法』計画経済)の考えが企業精神に影響を与えていたと、山折氏は推察する。多神教的企業精神は、貸し借りの人間関係でも、西欧社会のような契約の精神よりも、「恩」や「感謝」を重視する慣行を重視している。これが債権の要求をできる限り抑制し、債務の感覚を最大限に強調しようとする心性を助長した、これこそ自然の恵みに首を垂れる多神教的風土における「見えざる手」の感触だったのではないか・・。山折氏は、このようにアングロサクソン、中華思想と異なる、日本独自の企業家精神構造を指摘している。
三菱財閥の岩崎弥太郎氏が、借金をしたときの証文に「期日までに返済できないときは、どうぞお笑いください」との記述があったと聞く(なかなか原典にたどり着けないが・・)。このあたりにも、債務を最大化させ、社会のモラルを維持する日本独特のあり方を感じさせられる。
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