Inspired by Nikkeinews 20070305 経済教室 香西泰氏 歴史の教訓
福沢諭吉は、欧州の文明史家ギゾー、バックルに学び、『文明論之概略』の関東で、「文明論とは、人の精神発達の議論なり」と喝破し、「文明とは結局、人の智徳(知恵とモラル)の進歩」と言い換えた。これは、「世界史の文体は精神であり、精神の発達過程」としたヘーゲル『歴史哲学講座』の認識と符号する。
これは、内村鑑三が『地人論』でヘーゲルを参照し、「国の興起とは新文明の起こること」「日本国の文明は実に西洋諸国のそれにまさったものであるか。これ実に日本の亡国と興国とを決する大問題」とする主張に通ずる。
イエ社会(平安後期から東国武士集団を基礎とする、地縁・血縁を超え継続性を重視する自立的組織)の原則が、企業で典型的に維持され、機能的に純化された結果、自己の組織革新のダイナミズムに転換しうる能力へとつながった。
高度成長を支えた有利な条件が崩れつつある今、文明再興の運動の高まりが不可欠である。そのための教訓として、香西氏は次のように語る。
内村は「興国とは謙(謙虚・謙遜)のたまものであって、亡国とはおごりの結果」といい、福沢にあっては、「私智」を「公智」の拡充し、一般に富有の源を深くするのにも寄与する聡明叡知の働きを強調している。さらに福沢は国の変革も念頭に、優れた「衆論(世論)」形成の可否は「習慣の二字にあるのみ」(同)と、因習打破を呼びかけている。
文明論は、精神発達の歴史。私たち自身が歴史の足跡を残さんとする姿勢を、先人たちは温かく見守ってくれているように思う。
最近のコメント