戦略論といえば・・・、私は三品和弘先生派です。その三品先生は、「戦略は、人によって決まる」が持論ですが、そのためにも経営人材をいかに育み、活躍させるのかについて、大変興味深いお話をされています。
Inspired by 『経営戦略を問い直す』
戦後の復興期、日本は極度の人材不足に直面。生産現場から管理職まで人が足りなかった。そのために、人を大事にせざるをえず、現場社員にも人事考課や定期昇給を導入。あたかもホワイトカラーと同じようなキャリアパスを用意するに至った・・・。これが、法政大小池和夫教授は「ブルーカラーのホワイトカラー化」と表現する現象です。
日本企業は、ブルーカラーだけでなくホワイトカラーも全員がエリート層となりうる、ワンランク上の扱いをうけて、給料が安いといいながらも、打ち込める仕事があるため、結果として終身勤務が実現しているのです。
日本は、「打ち込める仕事」によって仕事への献身度を高めるという構図があると三品氏は指摘します。一方、米国の職務第一主義の限界として、、「トップダウンで規定される会社都合でやらされる仕事に従事するのは、長く続かない。精神的苦痛に見合う金銭的報酬を出さなければ、誰も来ないという事情がある」といいます。
職務主義を採用してしまった日本では、安定性のある終身的雇用を要求しながらも、仕事の枠を超えて挑戦する風土が失われてしまったように思うのです。そして、その結果もう一つの弊害が・・。
稀少資源を握るものは強い。稀少な二大経営資源といえばヒトとカネ。それを握る人事社員と経理社員は、現場からの叩き上げ事業部長をけん制し、両者がぶつかれば社長が裁定に回る・・そんな図式がありました。
ところが、優秀な大卒社員がグローバル化の進む事業部門に配属されるようになり、人事や経理の相対的なパワーが低下。経営色が薄れ、高度な実務をこなすプロフェッショナルと化してしまった。
松井証券の松井社長は、『好き嫌いで人事』という本で、社員の処遇を社長の好き嫌いで決めることを公言しています。(中略)
ところが、いまや好き嫌いを撲滅するための膨大な事務作業が人事の仕事と化してしまっている。わけのわからない評価項目をたくさん作り、その積み重ねで無機的人の処遇を決めているうちに、人事の仕事は「公平を確保することだ」と勘違いする人まで続出する始末です。
この功罪は、どう考えても大きいですよ。この「無機的評価」のせいで、どれだけ多くの人が働く意欲を失っていることか・・・。この悪循環を断つためには、まず「ワンランク上の仕事」をいかに多くの社員が経験できるようにするか、やはりここにかかっているのではないでしょうか。
社内でそのような場を見つけられず、反抗する(会社に文句をつける)、逃避する(社内で発揮されない余ったパワーを、社外交流や外部の資格学校に通う)などの消費活動を、投資活動へと転換せよ!と三品先生もおっしゃてます。
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