内田氏が、英語公用語化が英語嫌いをうむと、繰り返し警鐘を鳴らしている。
氏によれば、「努力と報酬の相関がみえると、脳は発動しない」「疎遠な世界を親しい世界に置き換えるとき、自分の行為を個人的に関連付けようと、知性が刺激される」という。
なぜ、こんなことをやらねばならないんだ〜、と叫びながら、やる必然を探しつつ、世界観を構築していく。
内田氏は、「謎」という間が必要だと語った。
これは、教育だけの問題だろうか。わたしは、労働の現場で起きていることも、この努力と報酬の相関に対するアカウンタビリティーに起因していると思う。
謎のない労働世界とは、成果の想定できる仕事にのみ動機づけられる世界である。
道筋の見えないチャレンジングなタスク、誰も拾わない一見美味しくないタスク。。。なぜこんなことをしなくちゃいけないんだぁ〜、と叫びつつ、どんな仕事にも「私がやることの意義」や、「私の使命」を見つけて魂を吹き込む。
そういう知性を発動する仕事のやり方はなりをひそめている。
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