Inspired by Nikkeinews 20110320 中外時評「3.11とわれた日本人」
3月11日2時46分。
この前後で変わったものは何であるのか。マンタリテとは、社会史の用語で、ある時代の、ある集団の人々が共有する心の動きやものの感じ方をさすものだという。今回の災害は直接被災した東北地区だけでなく、帰宅難民化し余震の恐怖のなかで一夜をすごした人など、広範囲のさまざまな人々が共通体験を持つことになった。
虚無感。
本記事を書いた、大島論説副委員長は、今の気分をそう表現した。3.11以後の一週間、私自身が格闘していたのは、この虚無感だったと思う。この一週間、わたしたちを包み込んだ虚無感は何であったのか。
「3.11前には予想もしなかった難儀だ。元気を失ってはいても、またしばらくはこの国の間延びした豊かさと平穏は続くのだろうと漠然と考えていた。それがあの日を境にガタリと崩れた」(本記事)。一方では、間延びした豊かさを取り戻し経済活動を止めないことが震災者のためにもよいはずだという主張があった。
同時に、ある一方では食料や燃料、電気の不足、計画停電や原発報道によって緊張感が続くなか、、自宅待機指示のために自宅PCに向かい、なにか被災地のためにできることはないかと思いめぐらせても、今は専門家に任せるしかないという常識的助言の前に自力の限界を痛感した人も多かったのではないか。
この虚無感と格闘した一週間・・。多くの人にとって厳しい時間であったが、この時間が育んだ「新しい時代のセンス」の根は、惨禍の後に大きなエネルギーとなって芽を出すことだろう。3.11の前に当たり前だった豊かさを疑い、被災体験のなかで心の支えとなった共生の力がこれからの原動力であることを多くの人が信じるようになるだろう。
おちまさと氏は、自身のblogで「価値観の扉を開いた日本人」と語っている。まだ、低解像度でしから見えてこないが、多くの人が注視している3.11以後の日本人のマンタリテをしっかりと見極めていくことから始めたい。
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